小規模多機能型居宅介護みんなの家・稲城長沼
【一日一心】昨日よりも、ほんの少しだけ。
【憲章との出会いと気づき】
YO、みなさん。
4月の桜のように美しく散っていく——
そんな風情があれば良いのですが、気づけば四十手前。
頭の上では、桜吹雪のように髪が舞うばかりで、どうやら新緑の気配はまだ訪れていない、みんなの家・稲城長沼のオウです。
昨年、会社で「ALSOK憲章」を受け取りました。
けれど、テレビの横に置いたまま、三ヶ月もの間、眠らせてしまっていました。
最近になって、ふと思い立ち、ページをめくってみました。
すると、不思議なことに――
自分が働いているこの場所が、少し違って見えたのです。
かつて本部の会議で耳にした、
「ありがとうの心」と「武士の精神」。
あのときの私は、日本文化にそれほど馴染みもなく、
その言葉をどこか遠く、硬いものとして受け取っていました。
そんな折に出会ったのが、映画『蜩ノ記』でした。
罪を背負った一人の武士が、切腹の日を告げられ、
残された時間の中で静かに記録を書き続けていく――。
けれど彼は、ただ死を待っていたのではありません。
限られた時間の中で、
「人はどう生きるのか」を問い続けていたのだ。
人を決めるのは、死に方ではなく、生き方。
彼は、戦いません。叫びません。抗いもしません。
それでも――逃げない。言い訳もしない。
ただ静かに、自分の責任を引き受けていくのです。
正直に言えば、
武士道の精神を経営理念に重ねることに、
どこか重たさを感じる気持ちもありました。
けれど今は、その「重さ」こそが、
ALSOKという会社に揺るがない使命を与えているのだと感じています。
だからこそ私たちは、
常に研鑽し、挑戦し、
利用者様に誠実に寄り添い続けていくのだと思います。
【桜と撮影会に込めた想い】
「花は桜木、人は武士」――そう言われるように、
桜は咲いてから散るまで、わずか七日ほどの命です。
その短さゆえに、私たちはそこに儚さと、言葉にならない美しさを感じます。
静かに咲き、静かに散っていくその姿は、
人生の一瞬一瞬の尊さを映し出しているようです。
そして、別れを迎えるその前に、
大切な人たちと心に残る時間を過ごしたい――
そんな想いから、第三回昭和撮影ショーを開催させていただきました。
市役所から頂いたレトロな洋服に身を包み、
桜が最も美しく咲き誇る季節の中で、かけがえのない瞬間を写真に収めました。
一枚一枚に込められているのは、笑顔やぬくもり、
そして「さよなら」の前にこそ輝く、利用者様お一人おひとりの想いと、その瞬間のきらめきです。
その大切な輝きを形として残したい――
そんな願いを込めて、この写真集にそっと閉じ込めました。
【介護の現場で見つけたもの】
昔は、語られるものといえば、遠い世界の英雄たちの物語でした。
やがて時代は変わり、
誰かを想う気持ちや、すれ違いの痛みといった、
もっと身近な感情が語られるようになりました。
けれど今、私の心をいちばん動かすのは、
そうした大きな物語ではありません。
もっと小さくて、見過ごしてしまいそうな一瞬です。
名前を呼ばれて、ふっと表情がゆるむとき。
そっと手を添えられて、力が抜けるとき。
「ここにいていい」と、言葉にしなくても伝わるとき。
介護の現場には、そんな瞬間が静かに息づいています。
今日、目の前にいる介護職員たちは、特別な誰かではありません。
上手な人もいれば、戸惑いながら関わる人もいる。
それでも、みんな同じように、目の前の一人に手を伸ばそうとしています。
朝の光の中で身体を起こす、その手のやわらかさに、
命を大切にしようとする気持ちがにじみ、
一口ずつ運ぶ食事の中に、その人の尊厳を守りたいという願いが込められ、
言葉にならない沈黙のそばに座る時間に、人と人とのつながりを感じる。
それは決して大きな出来事ではありません。
けれど、確かに誰かの一日を支えている、揺るぎない営みです。
介護の仕事は、光の当たる場所にあるとは言えません。
拍手が起こることも少なく、
誰にも気づかれないまま終わる一日もあります。
それでも――
その一日が、誰かにとって
「もう少し生きてみよう」と思える時間になっているかもしれない。
そのことを、私たちは知っています。
だからこそ、この仕事は不思議です。
目立たないのに、深く残る。
小さいのに、確かに重い。
誰かの人生の、ほんの一部分に触れているだけなのに、
その一瞬が、消えない温度を持つことがある。
介護とは何か。
もし言葉にするなら――
それは、誰かを変えることではなく、
その人がその人のままでいられるように、そっと支えること。
そして気がつけば、
支えているはずの自分のほうが、少しずつやさしくなっている。
昨日よりも、ほんの少しだけ。
【出会いと別れの意味】
花には、また巡ってくる春があります。
けれど人に、同じ若さは二度と戻りません。
この短い出会いも、
もしかしたら人生で最後の別れになるのかもしれない。
「さようならだけが人生だ」と寺田詩人は語りました。
もし、別れるために出会うのだとしたら、
その意味はどこにあるのでしょうか。
はっきりとした答えは、きっとどこにもありません。
それでも、利用者様に出会ったことで、私の中に新しい「私」が生まれました。
変わっていく私の中に残された「その人たちの欠片」は、
これからもずっと、私とともに生き続けていくのだと思います。