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スタッフブログ

小規模多機能型居宅介護みんなの家・稲城長沼

2026年3月19日

【一日一心】欠けた月が照らす夜

【一日一心】欠けた月が照らす夜

白髪

YO、みなさん。
こんにちは。みんなの家・稲城長沼のAD、
→ 王建 ← です~

今朝、ドライヤーの風に揺れて、数本の白髪がふわりと浮かび上がった。
「ああ、年を重ねたんだな」
そう思ったとき、寂しさよりも納得のほうが胸に残った。

少し前には、たった5階分の階段で息が切れて、しばらくその場から動けなかった。
スマートフォン画面越しに親と笑う自分の顔には、いつの間にか深いしわが刻まれている。

どれも、小さな変化だ。

健康診断

結婚してからハマった焼肉。
あの香ばしい匂いに誘われて、並ぶ時間さえ楽しみに感じていた。

だからこそ、健康診断の結果を見たとき、
紙に並んだ数字が妙に現実的で、少し目をそらしたくなった。

糖尿病。

仕事で、その先にある日々を何度も見てきた。
だからこそ、「まだ大丈夫だろうか」と、どこかで自分に問い続けてしまう。

怖くなかったと言えば、嘘になる。

けれど、時間は不思議だ。
ゆっくりと、確実に、受け入れる余地を心の中に作っていく。

通院も、検査も、薬も、
いつの間にか「特別なこと」ではなくなっていた。

不完全な自分で、生きていく。
そう決めたわけではないけれど、
気づけばそれが、一番自然な形になっていた。

みんな同じよ

施設で出会った利用者様たちは、もっと静かにそれを受け入れていた。

「ごめんなさいね、こんな体で」

そうこぼした新しい利用者様に、
周りの方たちは笑ってこう返した。

「みんな同じよ」

その一言は、とても軽くて、
そして、驚くほどあたたかかった。

病は突然やってきて、日常に影を落とす。
けれど、それは人生を終わらせるものではない。

むしろ、これからをどう生きるかを、
静かに問いかけてくるのかもしれない。

ふたたび、昭和撮影ショー

そんな「今」を少しでも残したくて、
先日、2回目となる昭和撮影ショーを開催した。

今回は、元朝日テレビのカメラマンがボランティアとして来てくださった。

地域包括の活動室にやわらかな光が入り、
カメラが向けられると、利用者様の少し緊張していた表情が、だんだんとほどけていく。

「いいですね、そのまま」
「少しだけ、顔を上げてみましょうか」

穏やかな声に導かれるように、笑顔が広がっていく。

誰かが笑うと、隣の人もつられて笑う。
その空気が、部屋全体をやさしく包んでいた。

その後は、近くの公園へ。
ゆっくりと歩きながら、時折立ち止まり、シャッターが切られる。

風に揺れる髪、ふと空を見上げる横顔、
何気ない会話の合間にこぼれる笑み。

どれも飾らない、その人らしい瞬間だった。

小さな外出のご褒美

撮影後、先月は利用者様たちとの約束で、多摩センターのレストランへ向かうことになった。

店内に入ると、焼きたてのパンの香りがふわりと広がる。
テーブルの上に並ぶ料理に、自然と会話も弾んでいく。

「こういうところ、久しぶり」

そう言って笑う姿は、どこか少女のようだった。

パンをちぎる手つきや、グラスを持つ仕草のひとつひとつに、
その人らしさがにじんでいる。

「今日は楽しかった」帰り道に聞いたその言葉が、
私たちにとって何よりのご褒美だった。

思い出が詰まった写真

出来上がった写真集を見たご家族が、ふとつぶやいた。

「こんなに笑っている姿、初めて見ました」

その一枚には、病や老いではなく、
その人が歩んできた時間そのものが、やわらかく写っていた。

「次は私も参加したい」
そんな声も、少しずつ増えてきている。

おもいがつながる瞬間

午後。
ひとりのスタッフが、小走りでこちらへやってきた。
「話したいことがあって」と。

彼は、私が書いているブログの「ユーの物語」を読んでくれていた。

そして、「介護は王さんの天職ですよ、僕も介護を選んでよかったです」
「ここで皆さんの笑顔を見て、自分ももっと頑張りたいと思いました」

僧侶でもある彼は、
いつか寺の隣に、小さな介護の場所をつくりたいと語っていた。

その話を聞きながら
こうやって何かが少しずつつながっていくんだな、と感じていた。

別の日、もう一人のスタッフが話してくれた。
ブログを読みながら、夕食の支度中に涙が止まらなくなったという。
その足で、かつて誤解のあった利用者様のもとへ向かい、
腹を割って向き合った。

 

ここには、そんな人たちが少しずつ増えている。
包括、市役所、利用者様・ご家族様の方々…口を揃えて言う。

「みんなの家は楽しい」
「ここなら、自分のやりたい介護に出会えるかもしれない」
「スタッフがいきいきしているね」
「みんな輝いている」
そんな言葉をよくいただく。

 

輝いているのは誰か

その言葉を聞くたび、嬉しさと同時に、ふと思う。
——本当に、輝いているのは、誰なのだろう。

介護という仕事は、
誰かを照らす太陽ではなく、月なのかもしれない。

月は、自ら光ることはない。
ただ、誰かの光を受けて、静かに夜を照らしている。

利用者様が歩んできた長い人生。
若かった日の夢。
守り抜いてきた家族。
乗り越えてきた痛み。

そのすべてが、その人の光だ。

私たちは、それを生み出すことも、奪うこともできない。
ただ、そばに立ち、その光がやわらかく届くように、手を添えるだけだ。

食事を支える手。
背中に触れる指先。
夜中、そっと掛け直す一枚の布団。

そんな小さなことだけれど、
確かに、その人の人生の続きを守っている。

そして、
気づけば、照らされているのは、いつもこちらのほうだ。

「ありがとう」と微笑む顔。
弱さを見せてくれる勇気。
最期まで生きようとする、その力。

そのひとつひとつが、
静かに、こちらの心を照らしてくる。

月は、自分が光っているとは思わない。
それでも、誰かの夜を照らしている。

目立たなくていい。
称えられなくていい。

ただ、誰かの人生が、
その人らしく、最後まで続いていくように。

今日もまた、光を奪わずに照らす、
月でありたい。
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